ジーコ戦術「自由」について考えてみる

自由について考えてみます
辞書には【他から束縛されないこと・思い通りに行動出来ること】
とあります
でもあたしは考えます
自由って日本人には難しい文化なのではないかって


例えば
子供の頃、夏休みになると1日の行動を円グラフに書いたりしませんでした?
宿題をする時間
昼寝の時間
読書をする時間
ピアノの時間
遊ぶ時間
そして自由時間
子供の頃から私たちは「自由な時間」を決める事によって作り出してきていました
要は「自由」は設定するものだったという事です
例えば
観光地では
「ココから先には入ってはいけません」って
ロープが張ってあったり、文字で書かれていたり鉄枠等で仕切られていたり
日本ではそんなに危険な場所でなくても必ず境界線が決められている
中に行こうとすると怒られる
そこが危険ではなかったとしても・・・
決められたエリアで自由に過ごす事が自由と思い込む
それが日本・・・
だけど海外には「仕切り」は元々存在しない
その先が断崖だとしても・・・
海外に行く日本人はその風習にまず最初に戸惑う・・・
という話を聞いた事があります


だから日本人はそもそも自由という環境を知らないのです
ある程度形があってその中で作り出す自由
それこそが「自由」なんです


ジーコ監督の掲げる「自由」という戦術
そしてその漠然とした「自由」に悩む選手達
そこにはそういう「自由」に対する国際的な壁があるんじゃないかな
なんて考えてみたり・・・


意味不明な文章でゴメンナサイ