忍城

「今はまだ来なくていいよ」
と言われたのでお見舞いには行きません
ガンコで弱音をはかない父だから
きっと今はまだあたしや妹に会いたくないのだと思う
・・・ってな訳で
横浜遠征にするか悩んだんだけど
※1−2で勝ちました!!!
※今日勝ったのは大きぃ!!!
ずっと行きたいと思っていた忍城へ行って来ました



忍城



確かに回りは田ばっかりだった
この辺りが水攻めにあったトコロかぁ・・・
どんな気持ちだったんだろ
攻めるほう
攻められるほう
感慨深いものがありますね



三成が陣取った丸墓山から忍城が見えました
かなり小っちゃ!!!


でも・・・
そもそも浮き城と呼ばれた忍城
どうしてココを水攻めにしようとしたのか
先日読んだ本『のぼうの城』では
三成が秀吉の備中高松城攻めの真似をして思いついたとなってるけど
現地では最初から水攻めをしようとしていたかのような記事があった
ググってみたら
秀吉からの指示だったような事も書かれているし
三成、大谷吉継長束正家が相談して決めたような事も書かれてる



残っている石田堤はもぅほとんどないけど
これが一体どの位の幅で高さだったんだろぅかと
どんな風にたった5日間で築いて
どんな風に水が寄せてきて
どんな風に壊れたのか
結局ソコは想像するしかないのだけど
・・・映画で見れるのかな・・・


兄弟城と言われる騎西



ココも田と沼に囲まれたお城みたぃです


PS
残念だったのは・・・
この辺りでは有名らしぃ『ゼリーフライ』食べれなかった事かしら



コレ・・・
ゼリーぢゃなく『おからコロッケ』なんだって!!!


PS2
忍城を三成の下で共に攻めた武将は
大谷吉継長束正家佐竹義宣、多賀谷重経、真田昌幸ら・・・
これらの諸将はその後関ヶ原の戦いでほとんどが三成方または三成寄りの行動をとっている
徳川家康相手の大戦で彼らが己の運命を三成にかけた理由は何だろう
忍城攻めを間近で見ていた彼らは
「戦下手」
という通説のイメージとは違った三成の姿を見ていたのではないだろうか
※ググってみたらこんな興味深い文章↑を見つけた・・・ふむふむw